先日、画家熊谷守一さんの事が書かれた本を読みました。
1880~1977年97歳で亡くなられましたので、既に亡くなられてから36年も
経っているんですね。時々拝見するとみずみずしい作品ですので、
そんなに経っていると思いませんでした・・・
明治13年経済的には恵まれた家に生まれましたが、家庭的にはとても複雑で、
屈折した少年時代を過ごされたそうです。
美大に進学され才能もあり、画家として華やかな未来を約束されていましたが、
それもなげうって故郷に引っ込んでしまい、貧乏のどん底で生活をされました。
その後、友人に促せれて上京し、画家としての生活を再開され、晩年にかけて広く
画壇に名前が知られるようになり、私達も作品を見る機会もふえてきました。
写真等で拝見すると、その風貌や生活から「現代の仙人」と言われたように、
晩年の30年間は全く外出しないで、都内の敷地50坪の家と15坪の庭が世界の全てとなり、
その小さな世界に息づく小さなアリやヒキガエル、ネズミや色々の草花と共に過ごされ、
一切の世俗的なものに背を向けて暮らされました。
晩年「これ以上人が来ては困る」と言い、文化勲章の内示も辞退されたそうです。
(アーアー・・)
(アーアー・・)
本にも書いてありましたが、熊谷さんは「アリは動き始める時、まずどの足から動くか?」と
いう事に興味をもち、庭にしゃがみこんで見る、地面に顔をすりつけて見る、
科学者の目でなく友達付き合いの目でアリを見る。
その観察によると、アリは左側の2本目の足から動かすそうです。
「あらゆるものを見て、見て、更にその上に見て、そうした見ている毎日の生活が、
デッサンの確かさにつながっている」と書いてありました。
そうした日常の観察が、一本の線と面に凝縮された作品になり、
私達見る者に優しさや静けさが伝わってくるんでしょうね。
デッサンの確かさにつながっている」と書いてありました。
そうした日常の観察が、一本の線と面に凝縮された作品になり、
私達見る者に優しさや静けさが伝わってくるんでしょうね。
又、熊谷さん自身も言って見えました。
「私は誰が相手にしてくれなくても、石ころ一つとでも暮らせます。
石ころをじっとながめているだけで、何日も何ヶ月も暮らせます。監獄に入って
「私は誰が相手にしてくれなくても、石ころ一つとでも暮らせます。
石ころをじっとながめているだけで、何日も何ヶ月も暮らせます。監獄に入って
いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中でこの私かもしれません」・・・
やっぱり、本当の仙人だったようです。
何かを創作するという事は、じっくり物を見つめて、物を記憶する事が大切なんですね。
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