2013年12月29日日曜日

「墨」と「炭」

「墨」
墨は油煙や松煙を膠で固めたもの。
使う時には硯で摺って、書や画を書く時に用います。
白い紙の上に書かれた墨の黒。白黒両極の間に無限の墨の濃淡。
日本独特の美しさですね。

以前、書家の篠田桃紅さん(1913年生)の書いてみえたエッセイに、
「中国宋代の硯(縦65㌢横40㌢)、その大きさ、豪放さに知人に頼み込んで譲り受けた。
硯に水1合をとくとくと注ぎ込む。ゆったりと、なめらかに、無心で。
ときに一時間かけてする。墨がにおいたつ。」・・・ 情景が眼にうかびます。

特別な芸術は別にしても、年末年始になりますとにわかにクローズアップされるのが「墨」
昨今では年賀状も様変わりして、「墨」も日常品ではなくなってきたのが残念ですが・・・
陶の庵家では家人の仕事柄「墨」と筆は必需品です。

「炭」
木材を蒸し焼きにして作り燃料として使います。
お茶で使う「炭」はとてもきれいですよ。
材料は椚の樹だそうですが、樹皮が密着しているのでしまりがあり、
炭の断面が真ん丸い円で、切り口が菊の花のように均一になるので菊炭とも言っています。
火付きがよく長もちし、微かに漂う香が心を落ち着かせます。

特別な仕事以外使われない「墨」同様、「炭」も日常品ではなくなってしまいました。
特に、東北地方で生産されていましたので3.11の震災以降「炭」の値段がだんだん
高くなってしまい、残念というのか心配です・・・
陶の庵にとってはお茶の「炭」はなくてはならない必需品です。
震災された地域の農業、漁業、林業等の一日も早い復興が待たれますね。

「墨」と「炭」
 どちらも「すみ」と読み、一見似てないようにみえますが同じ炭素で出来ていて、
「墨」は粒状にして使い、「炭」はかたまりとして使い似たもの同士だそうです。

「墨」も「炭」も必需品の陶の庵家の似たもの同士、大波小波を乗り越え、
お蔭様にて一年無事に過ごすことが出来ました。
感謝でございます。

今年も、拙い「陶の庵日記」を見てくださいまして有難うございました。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。
(*´ー`)

2013年12月21日土曜日

三人の「利休」

「利休」という文字が目に入りますと、資料のような難しいものは素通りしますが、
新聞、雑誌、本や映像等なるべく読んだり観たりしています。

先日も観てまいりました。
第140回直木賞受賞作が同名で映画化された「利休にたずねよ」 「利休」は市川海老蔵。
次の「利休」は少し古いですが、1989年「利休」400年遠忌特別に製作された二作品。
  一作品は勅使河原宏監督「利休」 「利休」は三国連太郎。
            もう一作品は「利休 本覚坊遺文」 「利休」は三船敏郎。

市川海老蔵の「利休」
さすが、今最も注目をあびている歌舞伎俳優・・・奥ゆかしい利休像。
衣装もピタット身に着き、立ち居振る舞いもとても美しかったですね。美しすぎる?

三国連太郎の「利休」
慇懃な態度の内に隠された傲慢さ。美しいものを求めている心の奥の不気味さ。
三国連太郎の不可思議な魅力と重なった利休像。

三船敏郎の「利休」
利休死後27年後の回想シーンから始まる。
三船敏郎の自己に厳しい姿勢が重厚な利休像に・・・
ギラギラとして強さが目立ちすぎ?

陶の庵の想像している「利休」に一番近いのは、三国連太郎の「利休」
相反するものを内に秘めた複雑な利休像を演じてみえました。
ワダエミ作の衣装も勿論ですが、共演者がオーバーな演技で下卑た秀吉の山崎努、
宗恩(りき)の三田佳子、北政所の岸田今日子、大政所の北林谷江。
そして一番的役だったのが山上宗二の井川比佐志ピッタリでした。

特別製作された二作品共、出演された人は殆ど故人になってしまわれましたが、
今でもとても印象深く思い出される作品です。

それぞれ三人共特異な個性を持たれた俳優さんが演じられた「利休」
 
もし、タイムスリップできるなら450年前その当時の安土桃山時代に遡り、
「一つの志のために命をかけられた千利休」の茶の湯。
襟を正して秘かに見たいものですね。


2013年12月14日土曜日

「お伊勢さん」

穏やかは冬麗の一日、十月に「遷御」が行われた「お伊勢さん」に出掛け、
「外宮」をお参りした後、「神宮徴古館」そして「内宮」へと参拝してまいりました。

「外宮」
天照大御神様や神々の召し上がる食物の守護神。
衣 食、住 そして全ての産業の守護神だそうです。
内宮と比べますとやはり参拝客は少ないですね。
 
「神宮徴古館」


初めて出掛けましたがもう少し早ければ紅葉が素晴らしい庭園の中に、
当然和式建築と思いきやルネッサンス式の鉄筋コンクリートの建物で、
その館内には神様にお供えする装束や神宝等、格調高く美しい数々の
展示品が収蔵されている博物館です。
 20年毎の御遷宮に全て新調する事によって、古代から受け継がれた
儀式や技等、日本の伝統が継承され伝える事の大切さがよく解りました。
神宮の歴史と文化を伝える「神宮徴古館」を見られてから、
参拝するとより深く思い巡らすことができますね。

「内宮」
大鳥居をくぐり「日常から聖なる世界への架け橋」といわれる宇治橋を渡り、
正殿までの長い参道をざくざくと玉砂利を踏みしめて進みます。
その両側には天に向かって、真っ直ぐ伸びる樹齢数百年といわれる巨木が
そびえ立ち、辺りの空気も清められる厳かな道のりです。
巨木の脇を抜けて左の階段の奥、
前の正殿の西側に建てられたのが新しい正殿です。
建築様式は唯一神明造り、その特徴は「掘立柱に萱の屋根」だそうです。
御用材の直線と萱葺き屋根のやわらかな曲線。
その静かな美しさと荘厳な佇まいに息を呑みました。

1300年前から続いている20年に一度の式年遷宮。
御垣内の建物全てを建て替えし、更に「神宮徴古館」で見た殿内の
装束や神宝も新調して御神体を新宮に遷す。
東京大大学院のロバート・キャンベルさんが言ってみえました。
「決して古くなったから引越しするのではなく、機が熟したから引越しをする・・」
感慨深いですね。
 
 
五十鈴川から宇治橋を見上げる。
 
以前から五十鈴川に架かっているのに何故宇治橋と言うのかしら・・と思っています。
内宮前の鳥居前町宇治の地名に由来するとか?
又、内宮の内(うち)が転じて「うじ」になったと言われますが・・

大鳥居や宇治橋は御遷宮の四年前に架け替えられその後、
他の神社の鳥居の御用材として合計60年務められるそうですよ。

お参りの後は楽しみにしていたおはらい町やおかげ横丁へ。
参拝客の多さにビックリ。そしてその人達が皆、手に手にピンクの包装紙の赤福を
お土産に持っているのにも又ビックリ。勿論陶の庵も一箱買いましたよ (*´ー`)

「お伊勢さん」に参拝し、今更ながら日本の文化の奥深さを改めて感じました。
心身ともにリフレッシュした良き一日でした。








2013年12月7日土曜日

「夜咄の茶事」

お茶は「茶事に始まって茶事に終わる」と言われています。
大寄せの茶会も楽しみですが、やはり小寄せのお客様と一碗のお茶で
一期一会の交わりをする・・・それがお茶の心だと改めて思いました。

先晩、日没を目安に午後五時の席入りとし、親しいお客様をお招きして
「夜咄の茶事」を楽しみました。

夜咄ならではの亭主と正客の手燭交換や、おもあいでの前茶を差し上げたり、
朝茶や正午の茶事とは違う趣を設えましたが・・・

蹲踞で手水を使うお客様 

初炭でたっぷりのお炭をつぎ座掃きで清めた後、席を改め広間での懐石席へ。

全て陶の庵の手作りの懐石でしたのでお味は如何??
お粗末なことで失礼いたしました。

後座の席入りは鳴物の鉦ですのでゴ~ン ゴ~ンと大、小、大、小、中、中、大の
七点を打ちお知らせします。

夜咄は小間が似合いますね。
朝茶や正午の茶事の時など、広間の方が良いと思う時もありましたが、
夜咄だけは断然小間で良かったと思いました。

蝋燭の明かりと初炭でたっぷりついでおいた炉の暖かさ、そして釜からの松風の音・・・
寒夜の一刻を一座建立でゆったりとお過ごすいただけましたでしょうか?

まだまだ、思っていた半分も設えることが出来ませんでしたが、電灯を全て消し
蝋燭の明かりだけで行った「夜咄の茶事」は、又「ともし火の茶事」「闇の茶事」と
言われ、その雰囲気を少しでも感じていただけたら嬉しゅうございます。

夜咄では日が沈み夜も更けると寒さも急に厳しくなります。
利休さんのお言葉。
「冬は暖かに」 直接暖をとる器具ばかりでなく 「心はあつくてもてなせよ」
深い教えと思いました。